2021/5/4 職場で発信
この映画について前から言いたいことがありましたが、なかなか機会が無く、それをここに書くのも場違いな気もしますが、まあ、いいでしょう。
映画館で観たのは、ロードショウ公開されているときだったのでコロナ禍以前です。
どんな映画かはネットで検索してみてください。
検索するのが面倒な人のために書いておくと、ナチス・ドイツ軍の捕虜になったソ連兵が戦車で脱走を図るという内容です。
派手な戦車バトルシーンが売りなので、ステイホームで退屈なら観ればストレス解消になるかもしれません。
各種サイトで配信してます。
以降、書く内容はタイトルの通りネタバレもありますが、観てからでないとわからない内容もあるのでご了承ください。
確かに面白かったのですが、脱走を許したドイツ軍の杜撰さや、戦車などというデカくてのろいもので逃げおおせるご都合主義に、映画館で観ていてずっとモヤモヤしてました。
クライマックスは逃げるソ連兵イヴシュキンと追うドイツ軍大佐イェーガーの戦車一騎打ちですが、敗れたイェーガーがイヴシュキンに微笑みかけて死んでいくシーンでそれまでのモヤモヤに全て合点がいきました。
そうか、イェーガーはイヴシュキンとタイマン勝負がしたかっただけなんだな。
イェーガーは捕虜になる前のイヴシュキンと過去にも対決しているのです。
あくまで主人公はソ連兵イヴシュキンですが、イェーガーの立場に立ってみると全く違う風景が見えてきます。
つまり、戦車で脱走するよう仕向けたのも、最後の一騎打ちも、全てイェーガーが仕組んだことだと考えると、映画の中の幾多のおかしなところは全て納得がいきます。
イヴシュキンが、逃げるのに必要な地図を手に入れられたのだって、実弾を隠し持てたのだって、諸々それが可能となる状況をイェーガーが作り上げたのです。
味方にも気付かせずに自分の想定する状況に持っていく運営能力には凄みすら感じさせます。
では、何故イェーガーがそんなことをしたのか?
それは、自らの死に場所を自分が認めた好敵手(ライバル)との対決に求めたからでしょう。
映画の舞台は1944年、つまりドイツ敗戦の前年であり、大佐という高級将校の地位であれば戦局を見通せる立場であったであろうし、それまでナチスがしてきたことを考慮すれば戦後の自身の行方は想像のつくところです。
その能力をかわれて SS に引き抜かれた自他共に認める軍人だったイェーガーは、戦って死ぬことを選んだのでしょう。
さて、以上は私の勝手な解釈ですが、この映画に関する映画評や多くの感想の中に上記のような解釈がひとつも見当たらなかったことが、これを書くことになった所以です。
感想の多くは戦車バトルに関することで、ドイツ軍の馬鹿さ加減を指摘ものはあってもその裏を読むという解釈は全くありません。
映画制作側も上記の解釈だと誰が主人公かわからなくなってしまうので、そうはさせたくなかったのかもしれません。
以上、主人公の敵側に感情移入してしまったという映画評でした。


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